地獄の底でハッピーエンドを

言葉を取り戻すために

リプライを送るのをためらってしまう理由を考えてみた

このテーマについて考えてみようと思ったきっかけ

Qiitaっていう、ITサービスを作っている側に携わる人間のSNSのようなサイトで以下の記事を読んで思うところがあった。

qiita.com

超ざっくり結論を言うなら「もっと気軽にコメントしてもいいんじゃね?」というお話だが、 わかる点もありつつも、首を傾げてしまう点もあった。Twitterをやっていて感じたことと重なった部分が多かったからだと思う。
しかし、私がこのサイトを見始めたのがほんの2ヶ月前とかで、まだこの界隈の雰囲気やどんな人間がいるのかも全くわからない。だから、Qiitaのコメントについてあれこれ持論があるわけではない。
今回はTwitterでのリプライを送るときにためらってしまう理由を私なりに挙げた。多少なりとも引っかかったことに、自分なりに一つの結論をつけて納得したかった。それに、Qiitaに記事を載せるエンジニアやプログラマたちが抱えているであろう葛藤の類に、創作してるオタクのそれと似たものを感じてしまったから。
あ、あと初めてMarkdown記法で書いてみた。

※元記事主さんに何か物申すわけでは毛頭ないし、リンク先はあくまでこの記事のテーマについて考えるきっかけとなったものです。それ以上でもそれ以下でもありません。
※勢いに任せて3,000字書いてすぐに力尽きてしまったので、まとめが大してまとまってません。日本語が結構乱れてるかもしれませんがご承知おきください。

Twitterでの、何か自分の言葉で意見や良さを語りたいときに使う機能. リプライ>引用RT>RTからのエアリプ. の順にハードルが低くなる。
相手に直接言葉を贈るというのはどうしても緊張するし、覚悟が必要な行為だと思っている。

①頑張って書いてもスルーされるかもしれないから

≒自分のかけたコストに見合ったリターンが得られないと判断したから?
発信者のアカウントの規模にもよるが、FF数や浮上回数から考えてどうやっても流れるわけがないのにスルーされようものならオキラ確定になってしまう。仮に自分がオキラだったとしても、それを裏付けする事実を目の当たりにしたくない。

スルーではなくいいねのみのリアクションだったとしても、普段から絡みのある人や立派なコメント(自分よりも深い考えをしている)にはリアクションがしっかりしていて、親しいわけでもないし表層しか読めていない薄っぺらなコメントには定型文で返されてもそういうもんだろとは思う。でも、それをわざわざ自分の目で確かめたくはない。
普段からよく感想をもらっている人なら、私ごときの薄っぺら感想の一つや二つなぞあってもなくても変わらないでしょうよねぇ……? 知らんけど。

②もし自分が思ったいいねポイントと発信者の意図が違っていた場合、自分が恥ずかしいし発信者も困るだろうし気まずいから

これは私が発信者側のときに経験した。
リプではなくエアリプでだったが、書いた小説のセリフについて 私の意図とは全く異なる解釈だったことが判明してしまい「えぇ……(困惑)」ってなった。
エアリプだったらそのエアリプに発信者がいいね押して一連のやりとりは終了するし、意図と異なる解釈に言及せずに済む。
でももしこれがリプだったら……なんて返せばいいんだ……? 「いや、そういう感じで書いたんじゃないんすけど……」なんて対面でも言いづらいのに、文字にして相互フォローしてる他のアカウントのTLにも流れる、衆人環視のなかで伝えられないって……。
そっといいねを押してやりとりを終了させても、他の人や別のツイートについたリプではリプで返してるのになんで? ってなってしまう。一貫させないと「なんで今回は扱いの違いが生じたんだ? あれにはリプで返してこれにはいいねで返した理由は? その基準は??」って勘ぐられてしまうし勘ぐってしまう。 ただ吐き出すためのアカウントでなら容赦なくスルーやいいねだけ押したりするけど、FFに「こいつリプへの態度分けてる、露骨すぎワロタ」って思われたくない、いわば多少善人ぶってでもハブられたくない界隈(というかコミュニティ的な塊というか)用のアカウントでは

  • 頻繁に他人にはどう受け取れるか
  • たとえそれが誤解だったとしても、最悪の場合どんな印象を持たれるか

を強く意識している。だからこそ慎重にならざるを得ない。

ただ例外もあった(反応された側として)。
ひとえに"異なる解釈"といっても、発信者側が「そういう視点・受け取り方もあるのか! へ~!」って思うような、自分じゃ気づけなかったことに気づけたポジティブな解釈だったら嬉しい。そういうのもエアリプであったな。あれは思わずフフッてなってしまった。
けれど、自分の抱いた感想が必ずしもそうであるという確証は持てないし、異なる解釈(創作物以外に対してなら的外れ・論点ズレ等)を「絶対こうだろ!!!」って自信満々にリプして、後から自分の思い違いだったって気づいたらキツいじゃん……?? 大恥じゃん……??
「ああ、読解力のなさを晒してしまった……」って病む。私は。実際「うわっ勢いでリプ送らないでよかった」って思った場面が過去にいくつかあるのでね……なおさらね……

③何のためのいいね機能だと思ってるんですか案件

これはインスタでもあった。 コメントで「いいですね!」「きれいな写真ですね!」って言う人。
通りすがりの"見境なく物申すマン"とかフォロワー数稼ぎたいだけのビジネスアカウント(笑)とかなら無視すればいいんだけど、FFとかアイコン覚えてる人とか、リアルだったら顔見知りに分類できそうな相手からこういうリプやコメントが来るとどう返せばいいのかわからん。
交流らしい交流をほぼしていないアカウントなら、いいね押すだけで構わないが、①のような"人や内容によって態度を変える奴"だと思われたくない場合だと「ありがとうございます!」以外に返せない。それが一人だけならまだしも複数人から来ると定型文でコピペしてるみたいで、傍からはまるで"他人の善意に機械的に対応してる薄情な奴"のように映ってしまうリスクがある。  

ていうか「いいね!」だけを伝える機能はあるんだからそっちを使ってくれよ~! いいね来るのもうれしいから! 誰がいいねしてくれたか、ちゃんとプロフィールチェックしてるから! 頻繁にいいねくれるアカウントは認知してるから~!!

いいね機能があるのにあえてコメントでいいねの一言を送ろうと思った理由は何なんですかね? 嫌味とかではなく純粋に知りたい。

【結論】 (自分の送ったコメントを受け取った相手に生じうるリスクと、その行動を見た第三者がどう思うかへの)想像力が足りないよ

世の中には、感じ取らなくていいことまで察してしまい気に病みやすい人とそうでない人がいるらしい。
私は物心ついてから20年と少し生きてきた間はずっと前者だったし、良かれと思ってやったことを否定されてきたことも多かった(特に親から)。だから他人を巻き込む行動をとるときは、相手がどう思うか細心の注意を払い、想像しうるよくない結果を考え、良いシナリオと天秤にかける。
悪い結果の想定が、たとえ相手の誤解によるもので自分に落ち度はなかったとしても、その誤解を解ける機会というのは滅多にないものだと思っておいた方がいい。期待しても実現できなかった場合の精神状態の落差に耐えられないなら。
もし誤解されたとしても、自分のことを悪く思うようになる人間がその相手一人だけならまだいい。けれど、自分と相手の一連のやりとりを目撃した第三者だって誤解するかもしれない。自分は100%善意だったとしても相手は悪意だと思うかもしれない。
インターネット上のやりとりで、嬉しかったり安心したりしたことはたくさんあった。価値観の近い人や同じものを好きな人と知り合えたのも、リアルより断然多い。むしろリアルに比べれば、Twitterとインスタの方が居場所と呼んで差し支えないくらいだ。だからこそ、この居場所を失いたくない気持ちが強い。

オンラインでは言葉足らずだと誤解が生じやすいから、思わぬところで一方的に嫌われたこともある。TLを見ていられなくなった結果、自分の存在を初めからなかったことにしたくて、そっとアカウントを消したこともある。最低3つは消した。(これはオンラインもリアルも同様だが)その時投げかけられた言葉やツイートは、10年近く経った今でも忘れたいのに忘れることができないし、なんなら急に脳裏をよぎったりもする。遅効性の毒みたいに。

こういうこと言うと「自分が傷つきたくないだけでしょ(笑)」って言う奴いるけど、自分の心を自分で守って何が悪いか? 自分で守らないで誰が守ってくれるのか?  仲良くなれると信じてコミュニケーションをとろうとしてもそれを無下にされた挙句、完治することのない傷を負った責任は誰がとってくれるのか? お前か?