地獄の底でハッピーエンドを

言葉を取り戻すために

数年ぶりに図書館に行った

ホビアニの考察と二次小説執筆だけが生きがいになっている。
いや、これは嘘だ。あと酒とヤニ。(碓氷くんごめんね)

2週間くらい前に投稿した、某音ゲーキャラの文が今日現在67ブクマされてて嬉しい限り。
ちなみにその文、アムカの描写がメインで結構生々しく書いたつもりだったからかなり読む人を選ぶかな、と思っていたのに意外だった。その界隈の人口が単に多かったのもあるけど。やっぱり25推しは自身があの子たちに近い気持ちを抱いているっていう人も多いのかな。私はそうだが。

長編とはいかないまでも、上中下でそれぞれ5~6000字くらいのボリュームのあるのも書きたいとは思いつつ、一枚絵のような情景描写に徹するSSは考えていても書いていても楽しいからつい書いちゃう。
それに、まだ創作始めたばかりだからまずは量をこなしてサイクルを回すことで慣れたいなあとも思っていたりする。
アニメ1期が終わったら、それまでに書いたものを一冊にまとめて自分用に紙媒体にして残せたらいいな。

なんかこのブログ、『ADHD21卒無職の近況』っていう記事が一番アクセス数多いらしいんだけど、あの文章拙すぎるし今読み返すとめっちゃ痛いしきもいから新しめの記事から見てほしいナ~~~!!!
ADHDだし無職だしNNTだし死にたいし、そのへんは一切変わってないけど。

<本題>
数日前に、数年ぶりに地元の図書館に行った。図書館カードなくしたから新しいやつ作ってもらった。
詩集2冊と作詞ハウツー本と古典ロック解説本の計4冊を借りた。
作詞本は創作に役立つかもしれないし、役立たなくても面白そうだったから。楽曲は歌詞の租借や解釈をメインに聴く派の人間なので。
ロックについての本は、某ホビアニの推しがロックミュージックに感銘を受けてギター弾き始めた少年なので、100%その影響です。彼は古典的な数十年前の曲もちゃんと履修してそうな感じがしたので、彼の頭の中を少しでも覗けたらな、なんて思って選びました。
詩集は、言葉をたくさん浴びたかったから。創作でアイディアがまったく浮かばないとき・書き進められないときは自分の中が空っぽだからインプットするといいよ、っておっしゃっているパイセンがいらっしゃったので(前記事で貼ったリンク先より)。
私が言葉に執着するようになったきっかけは紛れもなくamazarashiの楽曲であり秋田ひろむさんの言葉であると自負している。このブログのサブタイ(?)の『言葉を取り戻せ』も秋田さんの言葉。言葉にならない気持ちを言語化したい。だから考察ツイートもするしSSも書く。言葉という、第三者にわかる形にして残したいから。

最後にまともに読書したのは大学2年生のころで、それ以降は数日間一つの物語に集中する根気なくなっちゃったと思い込んでいたし今思い返してもその通りだった。
けど、読書といったって別に必ずしも小説でなくともいいし、楽曲の歌詞を読み込む感覚で詩を何度も咀嚼して自分なりの解釈を導き出す過程は言語化の練習にもなった。メロディーがついていてもついていなくても、詩は良いものだ、と思えた。
現代文の教科書に載っていた詩を扱った授業はあんなに退屈だったのに、好みってどう変わるかわかんないもんだな。

 

今週のお題「読書の秋」