地獄の底でハッピーエンドを

言葉を取り戻すために

それでいいのか白石杏

プロセカのイベストでここまで「え?」「は???」って思いながら(実際声が出た)読んだの初めてだ。

最近ちゃんとイベスト追ってるのはニーゴとワンダショだけだったけど、Twitterがざわざわしてたので気になって読んできた。
ピンポイントで「ここ無理!」ってなったわけではなく、やや厚めのもやがかかったような違和感だった(ちなみに、まふゆ母に感じる嫌悪感は前者)。

今回のイベストのどんなところに違和感とかを抱いたのかを箇条書き+αで並べました。言語化の練習でもある。自分の感覚と向き合う練習でもある。

※注意書き

  • ストーリーシナリオについては、9割ネガティブな感想です。
  • 運営やメインキャラクターの批判をしているわけではありません。あくまで感情移入しすぎてしまったゆえの、「このシナリオどうなの」疑問のような気持ちです。他者に物申したいわけではありません。
  • 私はプロセカのイベストをすべて読んでいるわけではありません。読み切れていません。そのため、未読のイベストで言及されていることを私が知らない可能性は大いにあります。
  • ビビバス推しではありませんが、プロセカのメインキャラクターに嫌いなキャラクターがいるわけではありません。
  • この記事は私の頭の中に湧き出た違和感やモヤモヤをしっかり整理したい・自分の感覚を整理して言葉という輪郭を与えてここに置いておきたい と感じたことをきっかけに書きました。

ここまで読んで地雷踏まれる危険性を感じた人はすぐにそのページを離れてください。
万が一読み進めて精神衛生が乱れても自己責任でオナシャス。

 

 

 

 

 

①大河おじさんの独りよがりさに困惑

身近な人の死というセンシティブな話題を唐突に(しかも今まで嘘をついていたという告発もセットで)種明かしした上に、杏ちゃんたちを気遣うでもなく、今まで黙っていたことを詫びるでもなく、話の流れぶった切って歌バトルを仕掛けてけちょんけちょんにぶちのめして去っていった

…って何???

「このショックで動揺する程度の精神力じゃ俺のことは越えられないぞ」と伝えたかったのかもしれない(いわゆる荒療治的な)。けど、リアルタイムで死に立ち合うのと、数年後に他人から暴露されるのとでは受け取り方は全く違うのでは? 後者の方が絶望度が高いと思う。
明らかに有利な状態で勝負を挑み若者たちをボコボコにしたの、「凪さんのことを話してからじゃないと当時の"本気"ってやつを見せつけられなかったから」説まで頑張って読解した。でも、いくら目的が正しくてもやり方を間違えたらアウトだろ、これはパワハラっていうか虐待だろ。

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過去話パートで引っ掛かったおじさんの言動。最初にセリフに出てきたのここだった。(凪さんの「自分たちが果たせなかった夢を次の世代に託したい」に対し「自分と謙が果たすことに意味があるのであって、第三者に受け継ぐことなんかしたくない」と発言)

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おじさん、モノローグでも解散したことを「夢の終わり」って言ってたし、まだ受け入れられていなくて駄々こねてるように見えた。凪さんと謙さんは現実をいくらか受け入れて、「自分たちが歌うことと同じぐらい大事なのは、RAD WEEKENDを観た誰かが自分たちのかつていた高み・それ以上にたどり着きたいと思ってもらうことだ」みたいなことをわかろうとしてる。
"歌への情熱を世代を超えて共有したい"っていう感じだろうか。

一方、おじさんは「自分たちが成し遂げるからこそ意味がある」と主張して、他の人(=ビビバスメンバーたち)を巻き込みたくないとこだわっている。いつまでも現役でいたい!という見方もできるが、ビビバス視点で読むユーザーにとっては大人対子ども(若者)の構図で見てしまう。

一言で言ってしまうと、大人になりきれていない大人、そんな風に受け取れた。
それが良い方に作用すればいいんだけどね、そうでもなさそう。

②杏ちゃんへの心配、そんなもんか

杏ちゃんがものすごいショックを受けているのは火を見るよりも明らかだったのなら、誰か一人くらいは彼女の精神状態の心配をもう少ししても良かったんじゃないでしょうか……。歌うことだけじゃなくて、彼女の人生の大部分を占めていたであろうことが呆気なくひっくり返されたのに。

今まで何があったかの事情を知らない観客の目もあったし、ミュージシャンとしてあの煽りに乗らないという選択肢は存在しないのかもしれないが、だからといって杏ちゃんを放置していいのか?「あいつは大丈夫だろう」という信頼の現れだったっぽいけど人一人死んでるんだぜ、そういうこと言ってられるケースじゃないだろ。

人の死というセンシティブな話題なのに、何年も引きずるトラウマになってしまうリスクだってあるのに、人の気持ちを粗雑に扱うような真似して「そのやり方は正しかった」とリードするような描き方は、これだけは受け入れられないです、私が。

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杏ちゃん一人で受け止める時間を作った方がいいのでは?って、もしあの場にいる誰も(思うだけでも)思わなかったら辛すぎる。

顔の上半分が真っ黒の立ち絵が出てきた時、杏ちゃんが誰もいないセカイに行っちゃうんじゃないかって思いました。

 

③杏ちゃんが人格を持った一人の人間として扱われていないのでは

凪さんのわがままを受け入れたところまではいいよ、RAD WEEKEND良かったね、までなら美談だったよ。
でも、大人たちがつき続けたその嘘で傷ついた人が確かに存在するじゃないか。
多分、最初にそのことを言われた杏ちゃんは「自分は街のみんなに信頼されていなかったのか?もしくは裏切られていたのか?」って思ったでしょうよ。

モブが「凪のその優しさはきっと杏に伝わるよ」と言う趣旨の発言をしていたけど、なんで”優しさ”って言ったの? どこが優しいんだ、残酷だろ。

「凪は杏を信じていたからこそああ言ったんだ」と言えば聞こえはいいが、嘘をつかれた側の杏ちゃんはどう思うか想像したやつはあの場にいたのか?

 

④凪さんのことを黙っていた大人たちについて、杏ちゃんの考え方がどうなったのか描かれていない

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RAD WEEKENDと凪さんたちをめぐる真実を謙さんの口から最後まで聞いた後、杏ちゃんは

『凪さんは私を信じてくれたんだ』
『私が、私たちが夢の先に進んでいくって、信じてくれたんだ!』

と言っていた。このセリフについての違和感がすごかったので整理する。

ここでの『信じてくれた』は、『夢の先に進』む=RAD WEEKEND越えを目指すことを指していると読めば違和感なく理解できる。
「私が本気で歌い続けるって信じてくれたんだ」ならわかる。
だが、「凪さんが亡くなったことを街の人たちに口止めしたのは、私のための優しさだったんだ」とはどうやっても読めない。それに、街の人、それに家族まで自分に嘘をついて大事なことを隠していたことについては、杏ちゃんの口から肯定する言葉が出てきていない。
つまり、今回のイベストは以下のような終わり方ということになる。

■歌方面では凪さんの遺志は受け取れた
 = 杏⇄凪の認識は正しくなった
 =解決◎

■街の人たちや家族に重大な嘘をつかれ続けていたことを肯定なり許すなりした描写は存在しない
 =杏⇄街の人たち・家族 の認識はズレたまま
 =未解決(というよりシナリオからフェードアウトされた)

蒔いた種はちゃんと回収し切ってくださいよ運営さん……。

街の人たちが凪さんも杏ちゃんも大切に思っているのはわかったが、もし杏ちゃんに嘘をつき続けることにほんの少しでも罪悪感を抱いた大人がいるとしたら、それは凪さんのお願いと杏ちゃんを天秤にかけて前者を選択したとも受け取れる。

凪さん自身も大河おじさんも「エゴ」とは言っている=多かれ少なかれ罪悪感の類の感情は持っているようだが。

当時の街の人たちは、
未来の杏ちゃん<<<<<過去の凪さん
だったと解釈しても大きく間違ってはいないでしょう。過去志向も甚だしい。
未来を作っていく者を裏切ってまで過去の偉人に従うのか?

個人的に、もうすぐ死ぬ人間を丁重に扱う描写がすごくて、死者を崇めがちな風習めちゃくちゃ濃いな〜ってやや気持ち悪くなりました。シブヤのど真ん中なのに村社会。

子どもたちを見守りつつそっとサポートする、みたいな、プロセカでの善い大人像を謙さんあたりから感じ取っていたから余計にショックだった。

もしガンダムだったら、今回みたいな”大人の役割を果たせていない大人”が登場しても物語として成立するよ。
プロセカだとまふゆの母が当てはまるけどストーリーの違和感はない。なぜなら、まふゆがセカイを生み出した原因は母に帰結する(であろうと推測できる)から。
でもビビバスでやるか……? そういう大人に抗うストーリーになったんですか……?

大人たちのエゴに彼らを巻き込まないでくれ。

どこかのグラサンノースリーブおじさんも言ってただろ、
『新しい時代を作るのは老人ではない』って。

すごいボカロPに出合えた

つい最近見つけて一目惚れならぬ一耳惚れしたボカロPさん。
ぺぽよさん。

YouTubeの誰かが作った再生リストでたまたま流れてきた曲↓


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世間の大半の人間とは根っこからどうやら違っているようで純粋に思ったこと。感じたことがずれてて「は?」って目で見られて1人にならざるを得ない、みたいな曲はこれまでも聴いてきたし好きになった曲やアーティストもいましたが、この曲はなんかベクトルは私が知ってるアーティストと近いところもありつつベクトルがすげえ。
ここまでダイレクトな詞すげえ。中毒性が高くてアドレナリンが出そうなアップテンポな音もすげえ。後者に関しては、初めてかいりきベア氏のベノムをフルで聴いたとき並みの衝撃だった。

何より、直球にADHDのことだって明言してるのが驚きだった。
ぺぽよさんの他の曲は比喩が難しくてコメ欄でわからないところを補ったりして理解を進めてたけど、これはそういうことしなくてもほぼわかった。なぜなら当事者なので……^^;
「まともができない」「認めてくれないメンタルヘルス」刺さった。
最後の歌詞「誰もがオンリー一等賞……?」、「障害は個性だ!」っていうよくいやがるタイプの部外者に『こんな社会でこんな扱い受けて育った人間に対してそんな呑気なこと言えるのか?』って言ってるような。


他の曲も片っ端から聴き漁って、『めんへらーめん』と『紙避行記』と『±0』が特に好きで最近しょっちゅう聴いてる。
『±0』はプロセカに応募したみたいだけど採用されなかったの残念すぎる……次アンケートあったら絶対ぺぽよさんの曲リクエストします。


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飲んで少し酔いが醒めた金曜の夜(お久しぶりです)

お久しぶりです。

これまでも(少なくとも今年に入ってから)、なんども「これブログに書こうかな」って思ったトピックはいくつもあるんですが、ツイート3~4つしたら気が済んでしまってこっちにアクセスすらしないっていうのの繰り返しでした。

確かにTwitterも私にとっては中学生くらいからずーっとつきあってきた仲だし、即時性や少ない字数で簡潔に、ときにツリーにして仔細に発信できるっていうのは何物にも代えがたいいいところなんですが、あとから自分以外の誰かがたどり着きにくいという大きなデメリットもあり。
自分で書くのもおこがましい文面ではありますが、私の「結果的にこういう思考を巡らしてよかったけども、そもそもこういうことを考えなくて済む人生ならどんなに楽だったことか」という類の内省は、いくらか遅くなったとしても誰かがググって見つけやすいようにしたいな、というのはわたしにとって揺らがないポリシー(?)なので、こうやってnヶ月ぶりにはてブロにログインした次第です。

最後に投稿した2022年9月から色々あって、Zガンダムも観終えたしなんなら宇宙世紀ガンダムシリーズ(時系列でいうと閃ハサまで)はZZと0083以外全部(=Amazonプライムビデオの見放題で観られる作品)観たくらい色々ありました。
手取り16万台のくせに上司に正論リンチくらってヤケになったという理由でプロセカに月2万課金して口座残高に唖然としたのをきっかけに節約志向になったり、ずっと行きたかった函館に一人旅に行ったり(そもそも2019年以降は旅行は一人旅しかしていないが)、森口博子さんと降幡愛さんとsyudouさんのライブに初めて行ったり、結構フットワークを軽くできた期間でもありました。

去年の夏ごろからアレクサのradiko聴ける昨日でラジオ番組にハマり、今では毎週特定の曜日にある番組を聴くのを小さな楽しみにどうにか生きてる感じです。
飲酒量は増えたけどわかりやすい自傷行為はなくなりました。風呂入れない日もあるしセルフネグレクトという意味では自傷なのかもしれないけど私としてはかなりマシになったと思ってます。
2023年2月から平均週4で初心者向け動画ではあるけど筋トレもなんだかんだ継続できてるし。三日坊主すらできてなかった人間にはこれは圧倒的成長なんですわ。本当すげえよ俺。

近況報告(なのか?)で今回はパッと見の文字数は多めにはなりましたが、今後は以前より増えたかもしれない脳内の思考を、より新鮮でリアルな状態でこっちに残せたらなって思います。あくまでできたらいいなって感じなので、筋トレほどやらなきゃって義務感を課したら逆に嫌になるからそうならないように。
それに伴って、ブログエディタでイキってマークダウン方式で編集してたのも一旦やめる。体裁の綺麗さより何を書いたかが大事だから。もっと気軽に思い付きとノリで書けたらなって前から薄っすらと思ってはいたので、それを実行できたらなって思います。

ここまで読んでくださってありがとうございます。
また何かの縁でこのブログにたどり着いてくれたら嬉しいです。

Zガンダム30話感想

※そこそこアルコールが入った状態で勢いとパッションだけで書いているのでツイートの長いバージョンみたいな感覚で読んでね

※100%ネタバレ

 

 

マウアーさんンンンンンンな回でした
ファが子どもたちの命を最優先にして戦線を抜けたのも、これまではそうするのが最善+カミーユがいるから というような理由でパイロットやってた彼女が100%自分の意志で行動を起こしたという意味でも大きな展開だった

マウアーさん、確かに強化人間なこともあって生命力は強そうかと言われるとそうではなかったし、流れ的にジェリドといい感じになった女性パイロットは死亡フラグ立てたも同然みたいな認識はあったっちゃあったけどやっぱりしんどい……
マウアーさんめっちゃ好きなタイプのキャラだったから……ゥヮァ……

今年の「世界猫の日」に見たツイートで、世界の想像上の言い伝えの猫のイラストがあって、その中に「マウアー」っていう名前の猫がいてア!マウアーさんじゃん!!って思ったんだけど、彼女のフルネームが「マウアー・ファラオ」だったのを知って、これはその猫が名前の由来だったんじゃん……って確信した 後でWikipediaで調べます

 

ビジュアルも声も顔も、カミーユに対して躍起になるジェリドを放っておけない性格も好き
だからこそ、この世界戦では長生きはしないなっていう予想は登場初期からあったんですが……

個人的に30話でウワァーーーってなったのは最期の「守るって言ったろ?」ですかね……
言ったでしょ?じゃなくて言ったろ?なのが好きだし、これまではあんまり主張していなかった(と私は感じた)けどその口調にライラ大尉みを感じた
ジェリドが好きになりがちな女の共通点はそういうとこなのか~とも思いつつ、あいつもあいつでエゥーゴとの戦争の中で大切なものを失い続けているんだなって、ジェリドに感情移入してしまったな……
前回でカミーユがファといい感じになったじゃーんって描写がしっかりあったからこそ対比が観ていて辛い、そんな30話でした

あと序盤でクワトロ大尉がウォンさんに「ジオンにいた人間ならわかるだろうが!」ってキレられてたけど、クワトロ大尉=シャアという事実はいったいエゥーゴのどのあたりまで広まっているんでしょうかね……ブレックス准将もシャアって言ってたし……
この期に及んであくまでシャア・アズナブルではなくクワトロ・バジーナを名乗り続ける彼も魂胆も気になるところ


ハロちゃんに続いて「ブライト怒ってる~」って笑うちびっ子たちかわいい
ブライトさんにはたかれるハロちゃん不憫だけどかわいい
ブライトさんの「何やってんの!」が聴けました、ありがとうございました

【懐古】大学に入ってよかったエピソード

東京ポッド許可局で『「大学に入る理由」論』を聞いた。
聞きながら私なりに、自分の大学生活を顧みて「大学に入る理由」を考えた。
あくまで「今となっては」の話だから、受験前にこんなことを考えていたわけでは当然ないが。

【結論】

生産性がなくても許される時間と、宙ぶらりんでも許される環境・コミュニティに身を置く権利を得るため

  1. サボりが許されるゆえに、自分のときめきに素直になれた
  2. いろんな種類の人間がいることが前提の空間だから、 高校までの「浮いてて肩身が狭い」がなくなった結果 「俺はこういう人間だが文句あるか??」スタンスに近い意志を得られた (大学内や学部内にいる人間のカラーにもよる)
  3. 生産性がなくても許されたゆえに、無計画の先でしか見られないものを見ることができた・過ごせない時間を過ごすことができた

超ざっくり且つ平たく言ってしまえば、森見登美彦の小説でいう『腐れ大学生』みたいな人間でいることが許される時間があって、それが私にとっては人生にプラスになったな、と思った。
書いていてちょっと疲れちゃったので、今回は1と2に関する自分語りをしていく。

①雪の日に4限抜けてディズニーランドに行った

都内に雪が降った日、3限までの必修は出たあとに4限を抜けて舞浜に直行した1年生のとき。
こんな行動、社会人でも高校生でもできない。
社会人なら有休申請期限ギリギリに申請すれば不可能ではないけど、当日になってものすごく行きたい衝動に身を任せることまではできないので。
勢いでやった行動が忘れられない体験になった、っていう、ちょっと現実離れした記憶。
(前日に大雪降る予報が濃厚だったからしっかり年パとカメラを持って行ったという点では、事前準備込みの行動ではあるが……)

②学祭実行委員会のこと

1年生の1年間だけ入った学祭実行委員会が、最も「いろんな人間がいてみんないい」が体現されていたコミュニティだった。
同じ大学の学生のみで構成された団体は、他に
ゼミ・クラシックギターサークル・学部イベントの運営団
の3つ入ったが、どこも私が素でふるまうと浮いてしまっていた。
私の言動に問題があったパターンも確かにあるが、高校までにいたタイプの人間に似た人間が多い印象を受けたのは事実だ。
でも学祭のところは、「この人スクールカーストトップ層だったんだろうなあ……」な
絵にかいたような陽キャもいれば、
私と波長の合うオタク気質な人や内向的・自分の頭の中でぐるぐる考えがちな人も多くいた。
それでも分断してるわけでもなく、ほどほどに友好的に接するしお互いを嫌だと思う様子がほぼ感じられなかった。

そして何より、多くの人が自分の担当している仕事やそれに関連することをしているのが楽しくて仕方ない、といきいきしていた。
高校までは文化祭実行委員会なんて陽キャのみに許されたポジションだし、
「しょせんこういう連中が生徒を動かしちゃってるしそいつらもそれで承認欲求満たしてんだろハァ~~~世の中クソ」 って思っていた。
でもここはそうではない、純粋にワクワクすることをやってワクワクしてる人間がいるんだ……いいじゃん……となった。
ちなみに私は広報局にいて写真たくさん撮ってた。媒体に載せる要件は満たしていない、
完全に趣味で撮ったアカペラサークルのステージの写真を先輩が褒めてくれて素直にうれしかった。

一人で飯食っても人権がある

〈以下、はじめに書いてから周りの人間はあまり関係ないことに気づいいてしまいましたがよかったらどうぞ〉
入学後すぐにカルチャーショックを受けた。
食堂で一人で飯食ってる人が当たり前のようにいたから。
それまで「誰と弁当を食うか」というしょうもないことで疲弊してきた私にとってはこの上ない肯定だった。
食堂はちょうどリニューアルされたばかりで、カウンターみたいな壁を向いて食える席がたくさんあった。
席の形式という、仕組みの時点で一人飯の可能性が考慮されているかは知らないが、
「複数人で食べる前提で並んでいるテーブルで、一人で食う選択をしてそこに座る」のと
「一人で食べやすいカウンター席に、駅そばを食べるのと似た体の動きで自然に席に着く」のとでは
椅子に座るときの気持ちに大きな差があること、少し想像していただきたい。

令和にもなって
「一人でご飯食べるなんて/旅行するなんて/映画観に行くなんて寂しくない?」
なんてほざく人間がいることも、つまりは構造的問題ってことです(???)