地獄の底でハッピーエンドを

言葉を取り戻すために

創作オタクに限っては健常者でも発達障害者並みに理詰めの説得に飢えているのだろうか

就活優先にして2週間ほど一切小説を書かなかった結果、書き方も忘れたし勢いでアップしちゃえる根拠のない自信も失った。またしばらく書けば取り戻せるとは思うけど、たったの0.5ヶ月のブランクで、積み上げてきたものがここまでなかったことになってしまうんだなあってむなしくなった。

note.com

 

ところで、キーボードを打つ手が進まなくなって辿りついたこのnote、何本も記事読んでたら理屈で畳み掛けられてるかのように錯覚してしまってぐったりした。連続で何本も読むからいけないんだろうけど。創作をしない・特に小説を書かない人たち・さらに言えば二次創作はロム専もしくは見たことすらない人にとってはかなり気持ち悪い文章に思えるんじゃないかなって感じた。

もちろん、この記事を書いている人をディスりたいわけでは断じてない。そうだったら続けて何本も読まないし。ここまでゴリゴリな理屈責めの長文で説明されて初めて納得できる人って、非オタを含めた世の中全体ではかなり少数派なんじゃないだろうか。意識高くしたいビジネスパーソン向けの自己啓発書ですらここまでお硬い理詰めの文体で書かれているものは決して多くはないと思う。少なくとも、立ち読みや試し読みも含めて今まで私が読んだものでは。

以前のカウンセリングで私が創作まわりの病み案件(Xさん絡み)を話したときの心理士曰く、『絵も小説も音楽も、創作する人間は大半がその完成の鋭さ・敏感さゆえに病みがち(意訳)』だそうだ。まあこれはわかる。私が好んで聴いている音楽は傷ついた・傷つけられた経験があってこそ書けるような詞なので。大事なのは、これに当てはまるのが創作で飯を食っている人たちだけではなくて、完全に趣味で損益度外視で本を売っているようなオタクも我々も含まれているということ。かなり配慮しない言い方をすれば、絵師・字書きをたくさんフォローしているTLは流れてくるツイートのほとんどがメンヘラ&予備軍の言葉なんですよね。私は、自分がいわゆるメンヘラの部類に十分当てはまることは自覚していたけど、一見普通に社会適応しているように見える絵師さん・字書きさんたちもツイートしていないだけで内心ガチ病みしているかもしれないって思うと不思議な気持ちになった。私は創作する側になる以前に、ADHDゆえに健常者の非言語コミュニケーションが理解できなかったりついていけなかったりして「私の感覚って世の中的には変なんだな……」って凹んだ(後に悟った)けど、健常者の創作オタクもいうなれば非定型並みに「いや、そんなふわっとした感じの物言い説明になってねーから、理屈で一から十まで言われなきゃわかんねーから」って常日頃思っている人がいるのかもしれないなあ、と勝手に妄想するなどした。

 

コミュニケーションとか趣味とか、仕事そのもの以外を扱う場面で理屈を最重要視したりめちゃくちゃ理詰めで話したりすると鬱陶しがられて嫌われがちなのは私も20年以上コミュ障ぼっちやってて痛感している。けれど、鬱陶しがる人たちの伺い知らぬところで、彼らが鬱陶しがっていないかもしれない人たちの中に、ゴリゴリの理屈で自分のアイデンティティに関わる悩みを論破されて多かれ少なかれ救われている人が存在する、という事実に思いを馳せると、なんとも言えない複雑な気持ちになった、というだけのお話です。まあ、理詰めの話を好む健常者の創作オタクに「あなたのそういう考え方わかります/好きです〜私も発達特性で云々」って仮に言おうものなら、彼らのうち発達を身近に感じていない人たちは「ええ……そんなガイジと一緒にするのやめてもらえませんか……」ってドン引きするのかもしんないけどね!(ド偏見)